いざ出産という日の出来事

歯軋り

私は結婚してもう15年が経ちます。我が家の子供が生まれる日の事を今でも忘れません。出産当日私は、会社に普通に出社して朝から産まれる事でテンションは上がる一方でした。

仕事が終わり妻の入院している病院へ直行です。今でも忘れませんあれは、嵐のような雨であちこちの道路が通行止めと、いうくらい酷い雨でした。

少し遠まりしながらやっと妻の待つ病院に、つき妻の顔を見て、頑張って!と応援して病院側にも産まれそうになったら必ず電話を下さい!と伝えて面会時間もあるので一旦家へと帰りました。

当然寝れません。朝がた4時位に電話が!ついに!とテンションが上がり立ち会おうと楽しみにしていた私。

電話に出ると、以外な答えが、、「さっき産まれたよ!」と落ち着いた妻の声。あれ、立会いが、、大きな病院で立会いが不可能だった病院でした。

しかし、無事予定日ぴったりの10月11日午前3時13分に女の子が誕生しました。産まれた時には天も喜ぶかのように雨もすっかり上がって、妻も子供も元気いっぱいの姿を見てありがとう!と声をかけてあげました。

驚いたのは、40週のぴったり産まれてきた事です。前後もせずに!子供を抱く事が出来て、初めてお父さんになった!喜びと感動で一杯でした。

助産婦さんがお父さんそっくりですね!と一言。やはり、自分の血が入ってる証拠でまたまた、テンションが上がりに上がってしまいました。

赤ちゃんの名前を決めていたので名前で呼んであげました。新しい家族が増えた瞬間でした。

しばらくは妻は入院。私は役所に名前を提出して、仕事も今まで以上に力と気合が入りました。約一週間後妻と赤ちゃんは我が家に帰ってきました。

何よりも私の楽しみは、赤ちゃんのお風呂でした。首を右手で支え丁寧に洗ってあげました。ミルク作りも、ミルクをあげる事も当然やってました。

私が仕事で疲れ赤ちゃんの横で一緒に寝たのを今でも忘れません。そんな子供ももう中学生3年です。

時がすぎるのは早いものです。これからも、家族仲良くやって幸せな家庭を築いていきます。以上です。ありがとうございました。

やっと現実的になってきたマイホーム購入

いちご鼻を予防

子供がいない大人2人家族の我が家は結婚してから数回引っ越しはしたもののなかなかマイホーム購入までに至りませんでした。転勤や転職を理由に、賃貸マンションを3回移り住みました。

子供がいる場合、育児に関して何らかの手助けを必要とする場合を考えて夫婦どちらかの実家の近くにマイホームを購入したり、子供の入学や卒業のタイミングに合わせて家探しをしたり、子供の成長とともにこれまでの住居が手狭になってきたと感じることもあるかと思います。

でも夫婦2人だけの我が家ではなかなかマイホームという大きな買い物を決断することになるきっかけがなかったのです。

新築マンションや中古住宅の広告を目にするとやはり気になるものの、どこかひとつの土地に一生住むとなると、仮に職場の近くに住む場合、本当にその仕事を一生続けられると思うか、本当にその地をこれから先の自分の生活の拠点とすることに何のためらいもないか、などと考えてしまっていました。

それでも、夫婦の共通の趣味である町歩きの道中で不動産の看板を見たり新たに建設中の戸建てを見る度に、そろそろ家を買おうかという話は時々していました。

普段はぼんやりとした話程度で終わるところ、予定していた引っ越しを伴う転職を取りやめたことをきっかけに、ここがいちばん居心地のいい自分の住処だと思える家に住みたいと真剣に思うようになりました。

自分達が心の底からくつろげる空間が欲しくなったのです。それからインターネットで不動産広告を探したり物件の広告を頻繁にチェックするようになりました。

これまで賃貸マンション暮らしでマイホーム購入の決め手になるきっかけや大きな買い物をするエネルギーには結びつかずにいましたが、やっといくつかの物件の内覧にも出掛け、銀行やファイナンシャルアドバイザーとも具体的に話をするようになりました。

ここまで来るのが長い道のりとなってしまいましたが、きっかけが見つかれば話が進んでいくものだと実感しました。

マイホーム購入を検討中

通信制高校の学習

我が家は、現在借家に住んでいます。

3DKと狭く、マイホーム購入を検討しています。場所はどこがいいかな、予算はどれくらい必要かななど、まだまだ考えることはたくさんあります。

小学5年生の長女が、マイホームの購入を1番楽しみにしています。自分が住みたい夢の家の設計図を、自分なりの方法で絵に描いて見せてくれます。

何度も描いているので、かなり上達してきました。家具の位置も描かれています。一人部屋ではなく、兄弟で共用の部屋を描いているところが微笑ましいです。

今は、和室に家族全員が一緒に、1部屋に布団を4枚敷いて寝ています。子供たちが大きくなってくると狭くなってきました。

娘は、普段は妹と一緒に2段ベットが欲しいと言いながら、マイホーム購入後も一緒に寝たいと言ってくれています。何歳まで一緒に寝てくれるかわかりません。

しかし、和室が良いのか洋室が良いのかで、マイホームの計画も変わってくるので、まだまだ検討が必要です。

子供部屋はフローリングの方が掃除がしやすく、使いやすいです。広い部屋にして、将来は真ん中で半分に分けて2部屋にするのも魅力的です。

じゅうたんを敷いて布団で寝てもいいし、ベットを置いて寝てもいいなと思っています。

トイレは2箇所あると便利です。6人家族なので、朝の忙しい時間はトイレに行きたい人が重なり大変です。ゆっくりできるようになると思います。

私は、大きめの調理台があるキッチンが欲しいです。今は狭くて困っています。何とかスペースを作って料理をしています。

できた料理を置く場所がないので、電子レンジの上や中、オーブントースターの上など、色々な場所に置いています。調理台が広くなるともっと料理が楽しくでき、手の込んだものも作りたいです。

娘と一緒に料理することも可能になります。

あったらいいなと思うものには、広い玄関が欲しいです。靴が6人分あるので、いつもいっぱいになってしまいます。

ゆっくり脱いだり履いたりできる玄関があったらいいなと思って計画中です。

ちょっと妥協して建ててしまったマイホーム

田舎の一戸建てマイホームに住み始めて16年。あっという間の16年でした。ちょっと妥協して建ててしまったマイホーム 田舎の一戸建てマイホームに住み始めて16年。

虫歯除去

あっという間の16年でした。27歳で結婚し、最初の1年間はアパート暮らしでした。

しかし、集合住宅というのは私も主人も、どうも気を遣う生活に慣れず、早々に「一戸建てに住みたいね」という意見が一致し、結婚2年目にして早速マイホーム建築に向けて動き出しました。

といっても、モデルハウスを見に行ってもハウスメーカーに話を聞きに行っても、それはそれは様々なタイプの家があり、また価格もピンからキリまであり、どんな家にしようか悩みが増すばかりでした。

なかなか話が進みませんでした。でも、しばらくすると漠然と「こういう家がいいな」というものが見えてきました。

主人と決めたことは「独立した和室がある」ことと、「広い庭がある」ことの二つだけです。あとは予算も決めて、土地と家の予算の内訳もだいたい決めたのですが、広い庭を確保するためにある程度の坪数の土地が必要となり、家にかけられる予算はそんなに余裕がなくなってしまいました。

いざ間取り決めや見積もりが始まると、案の定いろいろとオプションを付けたくなったり、いい材料を使いたくなったりしましたが、きりがないのでグッと我慢して、なるべくシンプルな構造の家を建てることになりました。

そうして建った我が家に住み始めた16年…大きな不満はありませんが、やはり16年経つとあちこちガタが出始めます。高級な材料を使えなかったため、ドアの淵が剥がれてきたり、壁紙が痛んできたりと最近は経年劣化が目立ってきて気になって仕方ありません。

今更ですが、後悔しないためには、少し無理をして最初のプランでワンランク上の材料を使うように決めてしまったほうが良かったかなと思います。でももしそのようにしていたとしたら、今はローンの支払いがきつくて、やはり予算を守って建てるべきだったかなと思っていたことでしょう。

結論としてはどちらにしても、最初の予算が限られている以上、何らかの後悔はしていたのかな…ということですね。

看護学生から看護師になってみて

介護福祉士

去年の看護師国家試験に無事に合格し、4月から看護師として働き始めました。

看護学生から看護師になってみて 去年の看護師国家試験に無事に合格し、4月から看護師として働き始めました。

看護学生のときの勉強方法は、最大20科目ほどあるテストを乗り越えることが精一杯でした。学校の試験は先生たちも、留年や試験に不合格とはなってほしくないため、ここはテストに出るよ!などわかりやすく伝えてくれる先生ばかりでした。

なので、テスト前にその部分を見直せば不合格になることはありませんでした。

それよりも、私は看護大学だったのですが、出席のチェックが厳しく、他大学よりも厳しくされているのではないかなぁと思いました。国家試験に向けての勉強方法は、問題集を2回やりました。

1回目は解説をみながらわからない単語や自分が理解できていないところを見直し、レビューバックというほとんどの看護学生が買っている分厚い参考書に書き込んでいきました。

2回目は、1回目に解けなかった問題を中心に見直しを行うことで合格することができました。

4月に就職した病院は地元では大きな総合病院で、私は若いうちはいろんな知識と技術を身につけようと張ろうと思っていたので、ICUを希望しそこに配属されることになりました。

給料は大卒の基本給が22万円ほど、月5回の夜勤で手当てが8万円ほどつきました。

師長の方針なのか病院全体の方針なのかわかりませんが、患者さんに接する点滴や処置などが時間内に終わらなかった業務での残業は認められず、残業として認められるのは委員会や時間外で行われる研修のみでした。

始業時間前の患者さんの情報収集や、日勤後の残業が合計で2時間ほどあり、それがサービス残業として扱われていたのが納得できませんでした。

ICUでは患者さんの疾患も多岐にわたり、1年生は採血や末梢ルートの確保などの基本的な看護技術もままならなかったので日々勉強に追われる毎日でした。

勉強しなければいつか自分が患者さんを殺してしまうことになるという恐怖との戦いでした。

それでもお盆やお正月はオペがなかったので割と暇なときもあり、先輩たちは有休を消化して半日などであがれる日もありました。

東京から関西へ。出戻り娘と孫に優しい両親

東京で、航空会社で客室乗務員として働いていましたが、離婚を機に関西に帰ってきました。実家で、子供と一緒に両親の元で暮らしています。

子供は小学一年生で、私は会社勤めで夜帰ってくるので両親が子供の帰りを迎えて来れています。

東京の頃はフライトが月に3回ほどしかなかったのでその他はほとんど子供と一緒にいたのですが、今は格段に子供と一緒に過ごす時間が減ってしまい、私自身が一番寂しく感じていました。

子供にも悪いことしているなぁと思っていたのですが、ある日「僕、今の方がおばあちゃんとおじいちゃんといっぱい遊べるし、お母さんとは土日にたっぷり遊べるから嬉しい!」と言ってくれたのです。

無理をして言ってくれたのかもしれませんが、確かに前よりも土日休みが子供と一緒になったので確実に一緒にいられるのでそこは良かったのか、と思うことができました。

 

私と子供が実家に帰ってきて、誰よりも嬉しそうなのは両親です。両親は1人娘である私が東京に行ってから2人きりでずっと暮らしていて、とても静かだけれど寂しかったので、とっても嬉しいと喜んでくれました。

母は、毎日ご飯を考えるのが楽しく生き甲斐ができたようで前よりも顔つきが若くなったように思います。そして父も、どこかでイベントを見つけてきたり、新しいお店ができるたびに息子を誘って遊びに出かけてくれます。

父親代わりをとてもよくやってくれています。「迷惑かけてごめんね。」と言うと、「何を言ってるんだよ。元気が出て逆に親孝行なくらいだ」と言ってくれました。とてもありがたく思っています。

実家に帰ってきて、なんとなく息子も顔が優しくなった気がします。優しい両親のおかげです。